アメリカ 1型糖尿病 観察記

アメリカ在住、日本生まれ、日本育ち、1型は友だち

アメリカで困ったとき

アメリカで困ったとき

助けを求めるのは、やっぱり近くの友達(他人)です


英語でも日本語でも同じようなことわざがあります。


Better is a neighbor who is near than a brother far away.

遠くの親戚より近くの他人


このことわざ、まさにその通りです。


頼りになる友達は何物にも代え難いです。


1型糖尿人は、やはり普段の生活で少し気を使うところもあり、常に周りと同じとはいかない時があります。


自立して生活し、自分の病気をわかっていただけるようにする必要がありますし、接する方にも、人それぞれ違う存在であるのと同じように私も違うのだと理解いただけると、お互いスムーズにいきます。


ですが、日本では一般的に、持病を公表できない環境があります。


一度時病があるとわかると転職もろくにできないのではないか、出世にかかわる、有給を使って医者にも行けないなど、、人は40過ぎれば身体に1つ2つ悪いところがあって当たり前なのに、そもそも人それぞれ違っていて当然なのに、それを簡単に許さない環境がありました。


なので、日本では私も、自分の病気を下手に公表できないし、周りの人にも当然わかってもらえない呪縛に囚われ、苦しみました。


それが、アメリカにきてからというもの、

就職の面接で病気に関する情報を聞くのはNGだし、年間数日は病院に行くためのお休みを会社がとらせないといけない法律があるし、みんな病気はオープンにしてるし、、


そもそも人が違って当たり前。

人と違うことが素晴らしい。


なんと、今までの苦しみはなんだったのか??

不思議なくらいです。


1型糖尿人とかまるっと全部、私という人間が認められている感じです。


日本にいた頃は、

辛くても人に言うなんて事はなかったのですが、

アメリカのことを理解していくにつれ、

呪縛?から放たれて、

少しずつオープンにして人に接したり、

自力でなんとかできないときは

人に助けを求めたり出来るようになりました。


辛くても我慢しなくてもいいのです。

助けてほしいときは助けてと言えば良いのです。


私は、わからないな、とか、低血糖!とか、これはピンチ!の度に周りの友達に助けを求めたり、切迫した中ではその場に偶然居合わせた方々に助けを求めたりしました。


日本人の友達はいつもとても頼りになりますし、心細い環境の中では特に心の支えになってくれます。

さすが、日本を離れてやっていく決意をされた方々だと人間としての強さを感じ、頼もしく思うことが度々あります。


アメリカ人も、なんの不幸か、私にたまたま救いを求められた人もなんとかして助けてくれます。そういう土壌がある国なのです。

アメリカ人の余裕や懐の深さを感じる出来事が何度もありました。


ただ黙っていてはいけませんけどね。

どこでもそうですが、まずは自分でトラブルに陥っていること、助けを求めないと周りの人はわかりません。


アメリカに来ることは、不安はたくさんありますが、まず普段から自分でできる対策などとった上で、人に助けを求めたり、頼れる友達を作ること、、大切だなぁとしみじみと思います。


私も誰かの役に立つことができるのであれば、精一杯やりたいと、切実に思います。